2018年5月3日木曜日

隠岐の島旅行(大満寺山登山等)

GWの休みを利用して隠岐の島に来ました。伊丹空港から飛行機でたったの50分で着いてしまいます。


JALの小型プロペラ機。ちょうどこの5月にジェット機に替わるらしい。長い間お疲れ様です。


今回は長いブログになりそうなので、まずは旅程の説明から。隠岐の島は島々の総称で、カルデラ状の島々のグループを島前(どうぜん)、一番大きくて円い島と韓国と紛争中の竹島を合わせて島後(どうご)と言います。

1日目は島前の隠岐空港に13時過ぎに到着、西郷港近くでレンタカーを借りて主にハイキング。西郷港近くで宿泊。2日目朝に西郷港からフェリーで出発。


フェリーは島後の西ノ島の別府港に到着、そのまま遊覧船で奇岩巡りをしたあと浦郷港に到る。そこから路線バスで別府港にいき、後醍醐天皇の御所跡を見てフェリーで中ノ島(海士町)へ。そこでは後鳥羽上皇の御所跡を見て港のそばの宿に泊まる。
3日目朝ジェットボートに乗って、元の隠岐の島町へ。


そこでまた同じレンタカー屋さんで車を借りてローソク島を見たあと西郷港へ戻る途中にいろいろ観光して、レンタカーを返して14時前の飛行機で成田へ帰る。

といった旅程です。


それではまず1日目。レンタカーで中谷駐車場に行きます。


遊歩道を登っていきます。


シャクの花。小さくて可憐。葉は食べられるらしい。


後ろを振り返ると、トカゲ岩発見。


拡大画像。何かが山を登っているようです。


ちょっと前までは前足があったそうですが、2000年の鳥取地震で崩れてしまったそうです。右の写真は前足があった頃。ちょうど前足部分に人が立っています。


杉の木の合間から見えるトカゲ岩。


これが鷲ヶ峰の屏風岩。火山の噴出物の堆積である火砕岩が、冷却して縦に亀裂が入ったものを柱状節理といいます。



奥さんと一緒に登っていきます。


神原高原に出ます。高原というかちょっとした広場です。ここから大満寺山に行こうかなと考えましたが、途中に鷲ヶ峰を越えないと行けないので時間の関係上いったん下りて別ルートで大満寺山に向かうことにしました。


再び屏風岩。


乳房杉と書いて(ちちすぎ)と読みます。樹齢800年は古いのですが、屋久島の屋久杉と比べればまだ若いほう。

でもこの杉の特徴は独特のこぶ状の下垂根で、空気中から水分を吸収する目的があるそうです。そういうのを一般的に気根(きこん)といいます。



妖気ただようその佇まいは、物凄い存在感があります。屋久島でもこれだけの気を放つ杉は記憶にありません。


さて、乳房杉からさらに少し上にあがったところで車を停めて、山道に入っていきます。


椿が咲いています。




これはオオヤマレンゲかな。


あまり人が足を踏み入れないせいか、道の上にスミレが咲いています。踏まないように注意して歩きます。天国の道はこんな感じなのでしょうか。



大満寺山(だいまんじさん)頂上(608m)へ到着。南に海が広がりました。東郷の港が見えています。


頂上には東郷の港方面から登ってくるルートもあるようです。



キリンソウかな?


鷲ヶ峰です。トカゲ岩から大満寺山に来るにはあの山を越えてこなければならなかった。


車に乗って、かぶら杉にいく途中に島根の名水の看板が立っていたので、名水好きの私としては放っておけない。

まわりに咲いていたシャガ。


水量も多く、美味しい。


かぶら杉です。道路のすぐ脇にあります。さきほどの乳房杉と比べると、確かに変わった形をしてはいるものの、あまり妖気は感じさせません。



シャガと一緒に。かぶら杉はこの写真がベストかな。


ここからホテルに帰って、実はここからは翌朝です。

隠岐プラザホテルの隣にあった神社。


今日泊まるホテルは隠岐の島プラザホテル。翌朝フェリーにのるので東郷のそばを選びました。スタッフの方々が親切。夕食の岩ガキも美味しかった。


西ノ島の別府港へ向けてフェリーに乗ります。


二等は他のお客さん達と雑魚寝らしく、なんとなく気が進まないので少し値段がしますが、一等のチケットを買ったところ、個室に案内されて、入ってみると10人くらいはいれそうな部屋。で、やっぱり雑魚寝(笑)。一等でも椅子に座れないのね。




さて別府港から遊覧船に乗り換えて奇岩めぐりです。

これは妖怪が住んでいるという岩。なんのことはない、右下がネズミ男に似ているというだけです。




これは屏風岩。断崖絶壁のようにそそり立っています。






特に名前はないようですが、これこそ妖怪に似ている。


船長さん曰く、何かに似ていると。




洞穴の中に入っていきます。



かなりスレスレで、お客さんが騒いでいますが、船長さんは絶妙の操縦で船を進めていきます。



これは、潜水艦に似ている。





これは観音岩。


確かにこれは誰かが造ったように観音様に見えます。頭の飾りから袖の様子まで、奇岩のなかでも一番出来がいい(?)


これは穴から見ると向こうに白滝が見える、という場所。実際は岩が縦に白い筋が入っています。




また、洞穴の中に入ります。今度は完全に内部に入ってしまうので真っ暗。ライトを灯しながら、左右の岩壁に接触しないようにギリギリで進みます。「当たりそうになったら言ってくださいよー」、と船長がマイクで言っているけど、そんなんで大丈夫?


ハラハラする洞穴探検の先に出口が見えてきた。


無事に脱出。この遊覧コース、普段は波が荒く、実は今年初めて運行したそうです。とてもラッキーな気分。奇岩を堪能できただけでなく、スリリングで、船長が元気で楽しかったです。


さて、遊覧船の終着は浦郷港で、浦郷港から別府港まで路線バスで移動します。

別府港のそばには、島流しにあった後醍醐天皇の行在所があります。行在所(あんざいしょ)とは、天皇が政変などの理由で本来の御所とは別の場所に建てた宮のこと。

まず資料館のなかに雨宿りもかねて入ります。

実は今回の旅の目的の一つは、後醍醐天皇の島流しの跡を訪ねることで、吉川英治の私本太平記を読んで興味を持ったからでした。

1331年の元弘の変で鎌倉幕府軍に敗北した後醍醐天皇は、翌年に緑色のルートで中ノ島に連れてこられ、この行在所で軟禁状態にいたところ、朝廷に従う楠木正成など反幕府軍の隆盛とともに、伯耆(米子のあたり)の有力者である名和氏の助けにより、オレンジのルートにより島を脱出した。実質島には一年もいなかった(約11カ月)。


こちらが京都からの全ルートです。


当時の様子を描いた絵画です。行在所といってもこんな粗末な家屋だったのでしょうか。
こちらでは行在所とは言わずに、黒木御所と呼ばれていますが、御所というにはあまりにも粗末すぎますね。


江戸時代(だったかな?)の地図らしいですが、黒木御所が記載されています。この地図南が上になっています。



すぐ横にある黒木神社です。


こうやって遠い京の都に思いをはせたのでしょうか?


こちら、後醍醐天皇に随行した阿野廉子(あのれんし)、後の後村上天皇を産み従三位に叙されたので、三位局と言われた。


どのような住まいだったのか想像もつきません。


三位局を想う人が植えたのでしょうか、牡丹がきれいです。


これは、デコポンかな?


別府港から見た行在所。鳥居の上を登ったところが家の場所です。


さて、別府港からフェリーにのって、中ノ島の海士町(あまちょう)に行きます。
海士町のそばには、同じく島流しにあった後鳥羽上皇の行在所があります。

後鳥羽天皇は、吉川英治の太平記の最後に名前だけ登場しますが、平家の血筋で平家とともに京都から三種の神器とともに脱出した安徳天皇が強引に廃位にされた後に擁立された天皇です。



鎌倉幕府に対して戦いを挑んだ承久の変に敗れた後鳥羽上皇は、1221年に隠岐へ島流しにされます。後醍醐天皇の約100年前で、後醍醐天皇が流されたのも後鳥羽上皇の前例に倣ったものでした。

でも1年足らずで脱出した後醍醐天皇と違って後鳥羽上皇は死ぬまでこの地に居続けたのです。

後鳥羽上皇は歌人であったので多くの歌が残されています。

「我こそは 新島守よ おきの海の あらき波風心して吹け」


ハナショウブです。


後鳥羽上皇を祀って、隠岐神社があります。なかなか立派な神社です。でもこの神社は昭和になって島根県が造ったのです。歴史的に島民が祀ってきたのですが、明治になって御魂を大山崎の近くの水無瀬神宮(みなせじんぐう)に遷したので、そちらが正式な神社になります。


神社にも歌がありますが、文化人だけあってよっぽど都が恋しかったのでしょう。

800年後に、京都へ3時間足らずで帰れてしまうようになるとは想像だにしなかったことでしょう。


シャクナゲがきれいに咲いています。雨上がりで美しさがきわだちます。





隠岐神社を後にして、「マリンポートホテル海士」に泊まりました。こちらはロビーや部屋からの景色がすばらしいです。温泉もあるし料理も美味しくもし今度隠岐に来ることがあったら是非もう一度泊まりたいです。


さて翌日、ジェットボートで隠岐の島町へ戻り、初日のレンタカー屋さんで車を借りて、ローソク島を見に行きました。

西郷港は島の南にあり、ローソク島は北にあるのと、ローソク島周辺は道が入り組んでいるので運転しがいがあります。

写真は展望所からです。




展望所から下に行く階段があります。せっかくここまで来たのだから行かないわけにはいかない。


20分くらい歩くとローソク島のそばの展望デッキにでます。ここは、絶対に外せない場所です。


この荒波を見ると日本海であることを思い起こさせるます。


ついついいっぱい写真を撮ってしまいましたが、ここが今回の旅のハイライトです。




こちらYouTubeに上げた動画です。


これは上部の展望所に向かう道の途中で撮った写真。


サツキかな。



ローソク島から再び西郷港へ戻る道すがらにいくつかの観光地に寄ります。

最初に寄ったのが水若酢神社(みずわかすじんじゃ)。ちょうど祭礼の日で準備をしています。流鏑馬が行われるそうです。



次に寄ったのが「あごなし地蔵尊」。ご本尊は見れなかったのですが、この地蔵を彫った平安時代初期の文化人小野篁(おののたかむら)。この方は反骨精神が旺盛で、遣唐使へ行くことを断ったことなどを受けて当時の嵯峨天皇を激怒させ、隠岐の島に流されてしまったのです。でも約二年後に罪を許されて平安京に戻ることができました。


手水のあったところにあったカメ。なんか可愛いので撮ってしまいました。


ここにもシャクナゲが。





こちらは隠岐国分寺。後醍醐天皇行在所跡の碑があります。

隠岐国分寺の由来は奈良時代に聖武天皇の詔によって全国に建てられた国分寺の一つなのでとても由緒あるお寺です。

西ノ島の黒木御所とどう違うのだろうと思い調べてみたところ、行在所はこちらの隠岐国分寺であるとの文書もあるらしく、どちらが本当なのかはわからないようです。

ただ、私のフィーリング的見解によれば、元々存在していた由緒あるお寺であるこちらに住まわれたのではないかという気がします。西ノ島の方は海のすぐそばの丘なので、平地も少なく波風も強くて、とても天皇の住処とは考えられないからです。

おそらく平家物語の舞台として島流しにあった後醍醐天皇の住処としてイメージにぴったりの場所として西ノ島が行在所ということになったのでしょう。





さて、最後に立ち寄ったところが玉若酢命神社です。


こちらの見どころが樹齢1000年以上と言われている八百杉(やおすぎ)。


神社を圧倒するほどの巨大な杉で、もはや自力では立ってられないのが痛々しいですが、葉はまだまだ青々と生命力を感じさせます。




帰りもプロペラ機で伊丹空港へ。


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