2017年7月16日日曜日

葛城山、金剛山、千早城跡

今回は初のテント泊ということで、いつものコロンビアの30Lではなく、新しいザックを買いました。

カリマーのアルピニステ40-55Lです。
カリマー(Karimmor)はイギリスのブランドで、Carry Moreをもじったブランド名らしいですが、Kから始まるとK2とかキリマンジャロとか山を連想させますね。ほぼブランド名で買ったようなものです。

テント泊に必要なマット選びで悩んだのですが、収納がコンパクトな空気膨張式は穴が開くという致命的なリスクがあるため、通常のマットでダントツに評価の高い。サーマレストZライトソルを購入。
で、このかさばるマットが、なんとカリマーの外側ポケットにピッタリと入ってしまったのです!!!これはなんと素晴らしい偶然。
みんなザックの上に載せたり、底や横に縛り付けたりカッコ悪いし、邪魔になるしで、これだけでもカリマーアルピニステにして良かった。ちなみに本国ではもう生産中止のようです。



三連休の真ん中の日曜日、7/16の朝に京都駅から近鉄に乗って、御所駅に到着。「御所」と書いて、「ごせ」と読みます。京都御所が北朝なら、奈良吉野は南朝。でも吉野の御所とはずいぶん距離があります。

近々吉野御所にも行きたいです。



駅にあった案内図。右の山が葛城山で、左が金剛山です。今回は葛城山から金剛山まで行って、テン泊してから、この絵でいうと裏側の道で千早城跡を訪ねるルートです。



バスに乗って、二十分程、葛城山ロープウェイ乗り場まで行きます。
こちらのマップはロープウェイ乗り場にあった葛城山付近の案内。



こちらが乗り場。本当は葛城山も歩いて登りたいのですが、時間の関係もあって、ロープウェイで一気に頂上まで。



500メートルほどの高低差です。



山上駅です。何といっても涼しいのがいいですね!



すぐに山頂に到着。やはり自分の足で登ったわけではないのでそんなに感動はありません。



山頂に咲いていたのが、薊(アザミ)。



なんとなくみっともない絵ですが、さっそくカップヌードルで昼飯にします。



頂上からの景色です。



さて、せっかくロープウェイで高度を稼いだのに、水越峠に向けて下っていきます。これは階段を見上げた写真ですが、それぞれの段の土が痩せてしまっており、丸太が突き出しています。これが極めて歩きにくい。

まるで何百回も障害物競走のハードルを超えていくような気分です。登りの人たちも相当ヒイヒイいってましたが、下りも大変です。

しかもザックの11キロの重さが予想以上につらい。重さも辛いけれど、バランスがとりにくく、バランスを取るために筋肉を使うから余計に疲れます。



ようやく平坦な道にきてホッとした気分。



水越峠に到着。名前通り水が流れています。水の音と温度が下がるので、少し疲れがとれます。



これが金剛の水。登山の醍醐味は新鮮な湧き水を味わえることです。そこにいた人が「昔はもっと美味しかった」と言っていました。



さあ、ここからダイアモンドトレールのコースで金剛山に向かいます。



金剛山への上りは、葛城山のような障害物競走地獄はなく、比較的穏やかな登りでした。とはいうものの、ザックの重さで、何度も休憩をしました。

樹木を間引いているのか、どこから入ったのか工機とチェーンソーで木を切り倒していました。金剛山はその多くが私有地だそうです。



ようやく山頂に到着。



ダイアモンドトレールからマップの上の地点に出てきたので、そこから右下のキャンプ場に向かいます。



その前に展望台があったので登ってみます。手前に見えるが金剛山、その後ろが葛城山。あそこからここまで歩いてきたわけです。



これは西の方角です。天気が良ければ関空が見えるはずです。




展望台から下りて、コーヒーを淹れようと思い、水を取り出したら、まだ凍っていました。朝に冷凍庫から取り出して、ザックの背中側にいれて7時間近く経ったのに驚きです。背中の熱をザックがうまく逃がしたのでしょうか?カリマーすごい。



さて金剛山キャンプ場に到着しました。ここは、ロッジもあるし、常設テントもあります。なのに今回は訓練が目的なので、敢えて持ち込みテント場を借ります。持ち込みテント場はウッドデッキもあるのに、わざわざ土の上を選びます。料金は500円ちょっとくらいです。



三連休なのに、持ち込みテントサイトはほとんど誰もいません。早速初のテント設営を行いました。



このテントは、エスパース ソロ アルティメイトです。
この商品はデュオで二人用です。Amazonではソロは扱っていないようです。


こちらのキャンプ場は、BBQセットをレンタルしていて、その場合はこちらのロストルを使えます。私は、ガスストーブ持ち込みなので、この場所は使えません。

残念なのは、このキャンプ場は、ガスストーブでもテント場では禁止されていることです。替わりに広場のテーブルを使ってくださいとのことです。

一人で静かに食事をしたいのに、団体とかが横で宴会していたらいやですが、幸いなことに家族連れが2,3組だけでした。



こちらエスパースの室内です。このエスパース ソロ アルティメイトの良いところは、高さがあること、そして室内空間とレインカバーの間にも空間があるので、ザックと靴をまるで玄関のように、間に置くことができます。

一人仕様なので、サーマレストのマットを敷くと、左右に小物を置くぐらいのスペースしかありません。そこにザックや靴をおかずにすむのは大変助かります。


上からぶら下がっているのがジェントスのLEDランタンです。食事のときは立てて使えるし、テント内はカラビナが底に収納されているのでテントにぶら下げられます。明るさは三段階に調整でき、一段目は正直明るすぎるほど。三段目はキャンドルのようにゆらゆらと灯りがかわります。このキャンドルモードがなんとも心地よいです。



広場で食事。京都八百一のいづつやさんで買ったサイコロステーキと、アスパラガスです。塩と胡椒も持ってきました。炭火焼きと違って、肉の油が落ちないので、こういうサシの入った高級肉は最初はおいしいんだけど、すぐにしんどくなります。

ミニボトルの赤ワインまで持っていったのですが、結果的に11キロのザックを担いで登ったキツさを考えれば、このディナーは割には合いません。



フライパンは、キャプテンスタッグの16cmです。取っ手の部分は折りたためます。でもこれからの山行にこれをもっていくかどうかは微妙です。やはり1キロでも軽くすべきなので。

さらに缶ビールを一本に、ミニトマトを持って行きました。保冷したいのでグラナイトギアのケース。保冷剤も入れているので、これも重量増の原因です。でもこれ、4500円もしたんですよね。確かに保冷能力は優秀でビールもキンキンとはいわないまでも、それなりに冷えていてよかったんですけど、今後の登山にはどうかなー?

食事の後は、18時から近くの旅館、香楠荘のお風呂がキャンプ利用者にも500円くらいで使わせてくれるので行ってきました。小さめのお風呂でしたが、やはり気持ちがよい。

サーマレストZライトソルは、評判通りとても寝心地が良いです。今回それに加えてイスカの枕も購入。このくぼみと、表面の材質が心地よいです。

パンツ一丁で寝ていましたが、さすがに朝5時くらいになるとテントの中でも寒くなり、シュラフを掛布団にしてまたひと眠り。7時まで寝ました。シュラフはモンベルです。
今回は商品紹介だらけになりましたが、テン泊の初期投資は、旅館泊の何回分もあります。




さて、翌朝。まずは金剛山の山頂に向けて歩き出したところ、なんと巨大な蛇が目の前に。思わず声を出すと、むこうも鎌首を上げたので、飛んで来たらどうしようかと思いましたが、道の脇に逃げていきました。マムシではなさそう。



金剛山ロープウェイの駅です。



朝のすがすがしい空気の中を歩くのは実に気持ちがいいです。



修行道の元祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が修行されたという言い伝えのある岩屋文殊。ありがたい場所なのですが、なんとアブに襲われました。やられたのは何十年ぶりなのですが、体のまわりをブンブン飛んで離れないのですね。
あわててザックを下して虫よけスプレーを自分だけでなくアブにまで振り掛けてやりましたが、それでも離れず、結局こっちが走って逃げました。

アブってやつは、毒針を刺して血を吸うのではなく、皮膚を切り裂いて血を吸うので、皮膚に穴があきます。翌日、頭から足まで数か所が腫れて、裂かれた皮膚からリンパ液が流れ出ました。なかなか簡単には治りません。




葛城家の歴代の墓地。古くからの名家で、5世紀には、あの仁徳天皇の皇后が葛城家から輩出し、皇子のほとんどが、天皇家と葛城家の子息となったほど天皇家と強いつながりをもつということです。



一番端には、ピカピカの墓石がありました。決して表に出ることはないけれど、今も脈々と家は続いているのでしょう。



転法輪寺。修験道発祥の地だそうです。



山頂に到着。



河内長野の景色がうっすらと見えます。



葛城神社。先の葛城家と関係があるそうです。




山頂広場をパノラマモードで。何故かバス停らしきものがあります。左の売店では、おでんを食べている人がいました。金剛山は旅館もあるし売店もあるし、持ち込みテン泊する私のようなデカいザックを担いだ人は誰も見かけませんでした。

実際のところ「なんかの訓練?」とおっちゃんに声かけられました。まあ、次にそなえた訓練っちゃー訓練なんですが。



さて、千早本道を通って下山です。



こちらは丸太の段々ですが、葛城山の障害物のように出っ張った丸太ではなく、大変歩きやすく、楽しく歩けます。



ところどころに石仏があり、「by みつを」みたいな名言が書かれています。



私と違って身軽な皆さんがホイホイと駆け下りていきます。



楠木正成の墓。先日神戸の湊川神社を訪ねて立派な墳墓を墓石を見ましたが、この墓は多分後で誰かが作ったものでしょう。



千早本道から少しそれた道が出てきました。



この道が千早城に続く道です。ワクワク。



さっきまでの千早本道と違い、いかにも山道みたいなところを抜けていきます。



千早神社です。ここは昔の千早城の本丸があったところだそうです。



幕府軍が送り込んだ10万と言われる軍をたった1000人足らずの兵で守り抜いたのはどんな場所だろうと思っていた。なので金剛山からずいぶん下った場所にあると知って、「そんな場所?」と感じたが、実際周りを歩いて確かめたところ、やはり四方が急傾斜になっている天然の要塞であった。

GoogleMapで確認してみると、たしかにそこだけが独立した丘陵のようになっている。この図は金剛山登山口のある西からながめたものです。



神社の奥には塚のような盛り上がりがあり、神聖な場所なので立ち入りを禁じている。



神社裏にあった杉の大木。千早城があったときから存在していたとは思えないが、歴史を見てきた自然の神の眼力のようなものを感じる。



確かに1000人足らずなら暮らしていけそうな広さの場所。今は何もないが、四ノ丸跡とのことです。




千早城の戦いは楠木郡のゲリラのような戦いに嫌気がさして数万の幕府軍は遊女をよんで遊んだりしたらしい。そんなたるんだ軍に幕府から喝をいれられ、巨大な梯子を500人の大工に作らせて、城に渡して数千人が城になだれこもうとしたものの、楠木軍に火を浴びせられ、宙に浮いた梯子の上で、何百人の兵が阿鼻叫喚のまま死んだということだ。



河内長野方面が良く見えます。この景色は楠木正成と兵たちが観た景色と変わりないのだろう。



あとは長ーい階段を降りると、金剛山登山口に出ました。



千早城跡の説明がありました。



ということで今回初のテン泊縦走でした。やはり反省は荷物が重すぎたことでした。
紫が初日で青が二日目です。

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