2017年6月17日土曜日

中山道 伏見宿~鵜沼宿

一カ月ぶりの中山道。新幹線で名古屋まで出て名鉄に乗り換え、明智駅で降りて木曽川の南を西に向かって歩く。北東に見えるのは御嶽山かな?



大井宿、大湫宿から細久手宿までずっと山道で楽しかったのに、このルートは国道沿いで正直面白くありません。


このあたりは可児市(かに)で、戦国時代は尾張の地として森蘭丸など数々の武将の統治下にあった場所です。人形でも有名だったようですね。



あちこちに鮮やかに咲いていたのが松葉菊(マツバギク)。多年草なので6月だから咲いていたわけではなくたまたまこの地域に多かったのかな?綺麗です。


街道は木曽川の南から北へ移動する。木曽川の渡しのそばにある今渡神社(いまわたり)。



今は立派な橋がかかっていますが、昔はこのあたりを「太田の渡し」と呼んでいました。



橋から木曽川上流を眺める。



木曽川を渡ると木曽川沿いの土手を歩く道になります。車道の脇ばかり歩かされていたのでようやく気持ちのいい道です。



土手から眺める木曽川。この風景だけは江戸時代の人が今見ても変わっていないのでは?



野菊と木曽川。この野菊はどこにでも見かけるヨメナという種類。



太田宿に到着。立派なお寺がありました。祐泉寺(ゆうせんじ)。



こちら祐泉寺にあった古地図。こんなに川に近くて水害とか大丈夫だったのでしょうか?



白い紫陽花が綺麗です。



脇本陣が良い状態で残っています。脇本陣は本陣の次に位の高い宿で、大名などが泊まる宿。



京都っぽい上品さを感じます。



屋根の両端に立っているのが卯建(うだつ)とよばれるもので、火災のときに延焼を防ぐためのもの。うだつが上がってる家は裕福な家なので、逆に言うと出世できないってことですね。


古地図。太田の渡しの舟が見て取れます。



太田宿の様子を再現したコーナーがありました。それなりですが、歴史をテーマに町おこしでがんばってもらいたいです。



中山道のあちこちに残る皇女和宮のお話し。合計2万人の行列で先頭から末尾までが通り過ぎるまで4日かかったそうです。
ふとん7400枚も用意したというからとんでもない混乱だったでしょう。足腰の立つものは総動員されたということ。大井宿では殺人事件も起きたというのを見ました。



矢印が指しているのは、孝明天皇に公武合体を進言した岩倉具視。



さて、太田宿を後にして鵜沼宿(うぬまじゅく)へ向かいますが、車道沿いで面白くありません。ふと見かけた看板、ピンキー。60年代後半から全国で大人気だったピンキーとキラーズです。恋の季節が代表曲です。



パジェロ専用の工場。今はハスラーみたいな小型アウトドアが流行ってるせいで、あまり見かけませんが、やっていけているのでしょうか。



また木曽川の土手沿いのルートになります。特にこのあたりは景勝地ということで、なぜか「ロマンチック街道」と呼ばれています。ちょうどこの辺は川べりが岩壁になっているのが野性味があっていいです。




これは虫取り撫子(ムシトリナデシコ)という花で、茎に粘着質の液を出してムシを捉えるらしい。ムシを食べるわけではなく、交配の役に立たないアリなどが密を盗まないようにするということ。面白いですね。


ここで車道から少し脇を登ります。こんな道ばかり続けばいいのに。



上から木曽川を眺めます。ちなみにこのあたりの木曽川は「日本ライン」とよばれています。ドイツのライン川に似ているからだそうです。



これが本家のライン川。ずいぶん昔に観光にいきましたが川幅はライン川のほうがはるかに広かったです。まあ、似てなくもないかな。




このあたりは中山道の難所と言われた場所で、船頭が唄をうたっていたということです。

木曽のかけはし
太田の渡し
碓氷峠がなくばよい

碓氷峠は軽井沢のあたりにある1000m越えの山道で難所の一つ、もう一つが、さきほどの太田の渡し。

木曽のかけはしとは、木曽川に面した崖に張り出した木材で補強した道のことで、歩くのが危なかったということです。このような道がいっぱいあったのでしょうね。



岩屋観音。




切り立った岸壁に少し納まるようになっています。



いい感じの山道は一瞬で終わり、またつまらない車道を歩いていると、JR高山本線の下をくぐる道に向かえと地図に書いてあります。その道は、この廃墟の右側にあるのです。

私は実は廃墟も好きなのですが、ケガがこわいのであまり中には入れません。この廃墟にはフィリピンパブなどが入っていたかなり大規模なエンターテイメント施設だったようです。


ブログで見つけた廃墟少女の日記がおもしろかった。彼女が撮った写真を再掲しますが、フィリピンからこんな何もないところのパブで働いて、でも明るく笑っていた時期があったことを考えると切なくなります。彼女たちは今はどうしているのでしょうか?




さて、JRの線路をくぐったところは「うとう峠」に着きます。「うとう」とは鬱陶しいという意味らしくそれほど辛い道だったのでしょう。



鬱陶しい...と思いきや、とんでもない、すばらしい紫陽花たちにはさまれた石畳の小道になっていました。



このすばらしい紫陽花が、今回の中山道歩きで一番よかったです。





小道もすぐに車道に合流し、鵜沼宿に向かうのですが、時間なので名鉄の新鵜沼駅に向けて下ります。このくだりの道沿いにはなかなか立派な家が建っていて、しかも遠景には犬山城の堂々たる姿を拝むことができます。


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