2017年3月11日土曜日

城南宮の「しだれ梅と椿まつり」


梅苑で有名な城南宮に行きました。

地下鉄竹田駅から歩いていくと、平安時代の鳥羽天皇陵がある。左に上から一本太い道が走っているのが朱雀大路。いまの千本通りの場所だけど、千本通りはぐにゃぐにゃ曲がっています。



鳥羽離宮跡配置図を見ると、当時は城南宮の南が入り組んだ池になっていて、竹田駅の南は斜めに賀茂川が流れていたことがわかる。

鳥羽離宮は川沿いにあったので、当時の平安京へパイプがつながる物流拠点であったのと同時に、貴族たちが余暇を楽しむ場所であったそうな。特に城南宮は半島みたいになっていて橋が架かっている。白河上皇、鳥羽上皇と二代の天皇が趣味でつくったような風光明媚で優雅な離宮だったと思いをはせる。



もう少しあるくと、北向不動院がある。これは、北に位置する皇居を守護するために鳥羽上皇が勅願したお寺と、ある。

勅願(ちょくがん)とは、天皇直々に神仏に祈願することをいうそうです。

本尊様は中におさめられて見えないのだが、写真にあるように外にも北を睨んでいるお不動様がおられました。

ふつう、仏さんがいて、その両脇にお不動さんがいるのだけれど、これは、お不動さんがメインで、仏さんはお不動さんの頭の後ろに座っておられます。

ただ、ここはやたらと仏さんやら神様の像が多い。寄進したら横に名前をつけて石仏が建っていたり、どこをお参りすればよいのかわからない。

さて、阪神高速の下を通ってしばらく歩くと城南宮につきます。

Wikiを見ると「城南」というのは平安京の南にあるからだそうです。鳥羽離宮や平安京そのものよりも歴史が古いようで、その後は京都御所の裏鬼門を守る神となり、貴族の方違の宿所だったと書いています。

それだけ歴史のある神社であるのは、やはり小さな半島で風光明媚なところが大きかったのではないでしょうか?

ちなみに方違(かたたがえ)って知りませんでしたが、昔は方位神(ほういじん)というのがいて、東西南北をぐるぐる回っており、その方位神のいる方角にまっすぐ進めないので、いったん別方向に移動してからということをしていたらしい。

しかも、その方位神は神によって回る周期がことなるので、その神々の惑星周期を読んで、それらを避けるというのは驚異的に面倒くさい...と言ったらバチがあたりそう。


さて、城南宮ですが、梅のベストなタイミングにいったので、梅苑が素晴らしかった。




梅のほかには、椿が有名です。


椿の花は、まるごと落ちるので首を切られることを思わせるらしく、武士には嫌われていたらしい。ただ、とても絵になるのでお庭のそこここに散りばめられていました。




椿は赤い花、と思っていたら、いろいろな種類があるんですね。こんな白と赤が縦縞になっているような種類は初めて見ました。


さて、城南宮のあとは、名物の「おせき餅」。ふんわりやわらかでおいしかった。

それから鳥羽伏見の戦いの発端となった小枝橋に行く。洛中に入れろとせまる幕府軍と、入れさせまいとする政府軍が衝突したところ。


ちょっと見にくいですが、衝突は、小枝橋のある「鳥羽」と、昔の伏見城のあった場所「伏見」の二か所で発生したから、「鳥羽・伏見の戦い」というということが初めてわかりました。

恥ずかしながら、鳥羽って三重県の鳥羽だと思っていました。なんで幕府と政府があんなところで戦ったのだろう...と。

調べてみると、「鳥羽」とは「泊場」が語源らしく、京都は、先述した城南宮が方違の泊場、三重は熊野古道の泊場だったからだそう。

なんでも調べてみると発見がありますねー。

鳥羽・伏見の戦いは、鳥羽が最初で、その大砲の音を聞いて伏見でも戦いが始まったと。人数では3倍の幕府軍も近代兵器と訓練を受けた政府軍に押されて大阪に向けて敗走してしまいました。





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